2SEP2002
お知らせ
会員の皆様へ
米国国立衛生研究所(NIH)はWomen's Health Initiativeという大規模臨床試験で、エストロゲンとプロゲスチンの併用によるホルモン補充療法は、これにより得られる恩恵を上回るリスクがあるとの判断から、この臨床試験を予定より早く中止したと本年7月発表しました。日本産科婦人科学会ならびに日本産婦人科医会に属する産婦人科専門医の中には至急の対応を望む声も強く、本会は直ちに生殖・内分泌委員会内に「ホルモン補充療法の安全性に関する検討小委員会:小委員長 星合昊」を設置し、対応の検討に着手しました。同時に会員の皆様へ、7月18日「急告」にて本会ホームページおよび機関誌上で本件検討開始をお知らせ致したところです。
一方、日本産婦人科医会にあっても同医会会員向け解説を用意し、発表した経緯は周知の通りです。以後、日本産科婦人科学会および日本産婦人科医会は共同して作業を進めることとし、これを受けて「ホルモン補充療法の安全性に関する検討小委員会」は集中審議を行いました。前期小委員会は検討資料として、同医会の解説ならびに日本更年期医学会の見解を参照し、日本更年期医学会の了承を得て同医学会の見解を原文のまま小委員会意見書に採用することになりました。本会内でさらに審議を行った結果、この意見書をもって本会の見解と致しますのでお知らせします。
なお本見解は、日本産婦人科医会ならびに日本更年期医学会との統一見解であることを申し添えます。
平成14年9月2日
日本産科婦人科学会
会長 中野 仁雄
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「ホルモン補充療法に関する見解」
<1>ホルモン補充療法の安全性に関する検討小委員会の意見書
「Women's Health Initiative(WHI)中間報告」に対する見解と、現時点での本邦におけるHRTのあり方
● Women's Health Initiativeの目的と内容
Women's Health Initiative :WHIは、閉経後の女性における疾患の発症予防対策を総合的に評価することを目的に、米国の50から79歳の健康な一般閉経後女性を対象とした大規模前向き臨床試験です。この試験はHRT(WHI Hormone Program:エストロゲン単独療法、エストロゲン+プロゲスチン併用療法)の施行、食生活、補助食品(カルシウム・ビタミンD)の摂取、喫煙、運動などの生活習慣が、心血管疾患、がん、骨粗鬆症の発症におよぼす影響を長期間にわたり追跡調査するものです。WHIでは全ての試験を遂行するために、無作為に抽出され、同意の得られた総数約16万人の閉経後女性を40の医療施設に登録して、1991年から15年の計画で開始されていました。
● 試験中止に至った経緯と結論
今回の中間報告によって試験が中止されたのは、この中のHRTの影響を追跡するWHI Hormone Programの一部です。このプログラムでは、子宮のある女性16,608人を対象とし、これをHRT群(結合型エストロゲン0.625mg/日、酢酸メドロキシプロゲステロン2.5mg/日の配合剤を連続服用)と対照群(偽薬を服用)の2群に無作為に分け、HRT群:8,506人、対照群:8,102人(試験開始時)を対象に一次予防比較試験が8.5年間を予定研究期間として開始されました。主要評価項目は、冠動脈疾患(非致死性心筋梗塞、冠動脈疾患による死亡)、浸潤乳がんの発症であり、副次評価項目として、脳卒中、肺塞栓、子宮内膜がん、結腸・直腸がん、大腿骨頸部骨折および死亡とし、主要ならびに副次評価項目におけるリスクとベネフィットを総合評価するglobal indexについても分析することになっていました。
試験開始後、データおよび安全性に関する諮問委員会が定期的に開かれていましたが、2002年5月の委員会において、平均試験期間5.2年の時点で評価を行ったところ、HRT群では対照群に比して骨折と結腸・直腸がんのリスクは有意に減少するものの、浸潤乳がんは予め設定したリスクの範囲を逸脱していることが判明しました。また、さらにこのHRT群の試験を継続すると、総合評価においてもリスクがベネフィットを上回る可能性があるとの結論が下され、WHI Hormone Programの1つであるこのHRT群の試験だけを中止することになりました。そして、このHRT(結合型エストロゲン0.625mg/日と酢酸メドロオキシプロゲステロン2.5mg/日の配合剤を連続服用)を冠動脈疾患の一次予防を目的として開始すべきではなく、現在これのみを主たる目的で本HRTを行なっている場合には継続すべきでないとの結論が発表されました。
● 試験中止の根拠
試験中止決定の根拠となる要因として、別表のような数値がJAMA(2002; 288: 321-33) 誌に発表されました。
別表:対照群と比較したHRT群における相対ならびに絶対リスクとベネフィット
(総対象人数=16,608、対照群=8,102、HRT群=8,506、10,000人/年) |
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これらの数値の意味するところは、5.2年の調査期間中に10,000人/年(10,000人にHRTを1年間行なった場合)につき対照群およびHRT群での発症症例数を比較すると(対照群 vs HRT群)、
冠動脈疾患:30 vs 37[7人増]、 脳卒中:21 vs 29[8人増]、
静脈血栓症:16 vs 34[18人増]、 浸潤乳がん:30 vs 38[8人増]となり、
一方、結腸・直腸がん:16 vs 10[6人減]、 骨折(大腿骨頸部):15 vs 10[5人減]となります。
また、乳がんおよび冠動脈疾患を含めた主な疾患のリスクとベネフィットを総合的に評価した global indexでも相対リスクは1.15(151 vs 170[19人増])となり、両群間に差が認められたが、試験期間を通じての合計の死亡数と死因の内訳には差はないと報告されています。
● 中間報告における論点
以上の中間分析により、本試験の一部を継続することに関して問題点が明らかになったとし、WHIの試験の一部が中止されました。すなわち、本試験の目的は米国の健康な女性を対象としたHRTの閉経後疾患の予防・治療効果を総合的に評価することであり、一人一人の女性のリスクとベネフィットを評価するものではなく、無作為に選ばれた8,000人以上の試験対象女性の一部でも、本試験を継続することによる不利益を受けないことを重視したからです。
以上の本試験の基本的な理念を理解した上で、今回の中間報告における論点を整理すると以下のようになります。
今回発表された成績の中で、試験中止決定に至った主な要因として、浸潤乳がんの発症リスクが予め設定したレベルを越えたことがあげられています。これまでの多くの報告においても、HRTと乳がんの関連は指摘されており、長期にわたるHRTでリスクが高くなることも従来から問題視されていましたが、本報告ではHRTの期間が平均5年になると浸潤乳がんが有意に増加することが確認されました。しかし、今回発表されたHRTの乳がん発症リスクはこれまでの多くの報告(相対リスク:1.3-1.4)と比較して決して高いものではありません。
次に、心血管系への影響としては、すでに冠動脈疾患を有する女性への2次予防には有用でないとの報告に加えて、一次予防にも効果が認められなかったという報告は初めてのものです。また静脈血栓症のリスクが高まることも本試験で対象となった女性において確認されました。しかし、これらの疾患の米国における発症率はいずれも日本に比して有意に高く、乳がんでは3倍以上、血栓症では10-20倍に達すると報告されています。さらに、これら疾患の危険因子である肥満(試験対象女性の平均BMIは28.5)、高血圧(試験対象女性の35%)、過去・現在を含めた喫煙習慣(試験対象女性の50%)、試験参加以前からのHRTの経験(試験対象女性の25%)などを有する女性が対象者に多く含まれている点など(これが米国での通常の健康女性かも知れませんが、すでにこれら疾患のハイリスク群といえます)をも考慮すべきであります。従って日本とは疾病構造、死亡率および遺伝的背景や生活習慣が異なる対象集団での試験であることに留意した上でデータを解釈すべきであり、本試験の結果が日本女性に当てはまるか否かについては疑問の余地が残されています。
一方、今回の試験で明らかにされた骨粗鬆症による骨折、結腸・大腸がんの発症を防止した効果をも適正に評価しなければなりません。
なお、もう1つのWHI Hormone Programとして開始された、子宮を摘出した女性10、739人を対象とするエストロゲン単独療法の臨床試験は、このまま継続することが、データおよび安全性に関する諮問委員会で認められ、2005年に結果が判明する予定です。
● これからの更年期医療におけるHRT
今回明らかにされたWHIの中間報告を踏まえて、より安全で効果的なHRTを更年期および閉経後の女性や、エストロゲン欠乏による疾患・病態に対して行なうための要点は、日本女性の疾病構造、遺伝的背景や生活習慣などの特異性とHRTとの関連、および子宮のある女性に対するHRTで用いられる黄体ホルモン製剤(プロゲスチン)の影響などが十分に明らかにされていない現状では、以下のようにすべきと考えます。
(1) 更年期・閉経後女性に対するヘルスケアの基本は、従来から強調されてきたように、精神・身体機能の評価と、これらに基づいた食事・運動・栄養などの生活習慣の適性化であり、それで十分な効果が見られない場合には薬物療法を行う。
(2) HRTは薬物療法の1つの選択肢であり、これを選択するに当っては、一人一人の女性について、そのリスクとベネフィットを慎重に判断する。
(3) 更年期症状(ホットフラッシュ、発汗などの血管運動神経症状、うつ、不眠などの精神神経症状、腟萎縮などの泌尿生殖器萎縮症状)を適応とする短期のHRTのリスクとベネフィットについて今回の報告では言及されていない。更年期症状に対するHRTの効果は明らかであるので、治療前に禁忌でないことを確認し、また治療開始後には、その効果を判定するとともに、乳がんやその他の異常所見の有無をチェックして安全性を確認しながら治療の継続・中止を判断する。
(4) 閉経後骨粗鬆症に対するHRTの予防・治療効果は明らかであるが、他にも骨折予防効果を有する薬剤があることも伝えるべきである。
(5) 心血管系疾患の予防を目的として、結合型エストロゲン0.625mg/日と酢酸メドロキシプロゲステロン2.5mg/日の連続服用によるHRTを、本試験の対象となった米国の女性に対して行なうことについては否定的な結論が得られた。従って、本邦女性でもリスク因子(肥満、高血圧、喫煙習慣など)を有する場合には、本試験の結論に則し、心血管系疾患の予防を目的としては、この処方によるHRTは行なわない。(注)
(注):エストロゲンの脂質代謝・血管機能への効能は証明されており、本試験で行なわれた以外のHRT(使用ホルモンの種類と量、投与経路など)についての有用性と安全性を否定するものではなく、これらについては今後の検討が必要である。
(6) 子宮のない女性に対しては、エストロゲンのみを用いる。子宮の有る女性に対するHRTには、子宮内膜がんの予防の見地からプロゲスチンの併用が必要である。プロゲスチンの併用方法については、同時連続療法であれ、周期的療法であれ、それに伴うリスクを十分に説明し、納得を得た上で行なう。治療開始後は乳房検診・血圧測定、脂質や凝固線溶系の血液検査などを行ない、慎重に治療経過を観察する。
<2>ホルモン補充療法の安全性に関する検討小委員会の構成
小委員長: | 星合 昊 |
委 員 : | 麻生 武志、太田 博明、武谷 雄二、野崎 雅裕、本庄 英雄、水沼 英樹 |
(以上7名、敬称略)
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