24DEC2002

会告


学会会員殿

理事会内に設置された体外受精等に関する委員会は,数回の討議を重ね,各界の意見を十分聴取した結果,体外受精・胚移植の実施にあたっては,以下の如き点を十分留意して行うべきであるとの見解を,理事会に答申しました.理事会(第2回理事会・昭和58年6月18日)は,これを承認しましたので会告として会員にお知らせします.
なお,本見解は,日本不妊学会,日本受精着床学会,日本アンドロロジー学会の了承も得ております.

昭和58年10月

社団法人 日本産科婦人科学会
会 長  鈴 木 雅 洲


「体外受精・胚移植」に関する見解

 「ヒトの体外受精ならびに胚移植等」(以下,本法と称する)は,不妊の治療として行われる医療行為であり,その実施に際しては,わが国における倫理的・法的・社会的な基盤を十分に配慮し,本法の有効性と安全性を評価した上で,これを施行する.

1.本法は,これ以外の医療行為によっては妊娠成立の見込みがないと判断されるものを対象とする.

2.実施者は生殖医学に関する高度の知識・技術を習得した医師で,細心の注意のもとに総ての操作・処置を行う.また,本法実施前に,被実施者に対して本法の内容と予想される成績について十分に説明し,了解を得た上で承諾書等に記入させ,それを保管する.

3.被実施者は婚姻しており,挙児を希望する夫婦で,心身ともに妊娠・分娩・育児に耐え得る状態にあり,成熟卵の採取,着床および妊娠維持が可能なものとする.

4.受精卵の取り扱いは,生命倫理の基本にもとづき,これを慎重に取り扱う.

5.本法の実施に際しては,遺伝子操作を行わない.

6.本法の実施に際しては,関係法規にもとづき,被実施者夫婦およびその出生児のプライバシーを尊重する.

7.本法実施の重要性に鑑み,その施行機関は当事者以外の意見・要望を聴取する場を必要に応じて設ける.

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“「体外受精・胚移植」に関する見解”に対する考え方(解説)
(日産婦誌36巻7号pp. 1131―1133)

 “「体外受精・胚移植」に関する見解”は昭和58年度第2回理事会(昭和58年6月18日)において承認され,日産婦誌(昭和58年10月)に,既に,会告として会員に勧告されている.しかし,体外受精等に関する委員会は,体外受精・胚移植の臨床応用が,生命倫理の基本に関る医療行為であることから,見解作成の経緯において,多くの論議を慎重に重ねてきた.その結果,体外受精・胚移植法の実施に際して,我が国における倫理的・法的・社会的な基盤が十分に配慮され,「体外受精・胚移植」に関する見解が,より正しく理解されることを目的として,本解説を付した.

1.本法は,これ以外の医療行為によっては妊娠成立の見込みがないと判断されるものを対象とする.
(解説)
 体外受精・胚移植の対象となる疾患は,卵管性不妊症,乏精子症,免疫性不妊症,原因不明不妊症などである.
 「これ以外の医療行為によっては妊娠成立の見込みがないと判断されるもの」が対象となっているが,このことを疾患別に検討しておく必要がある.
 「卵管性不妊症」で本法の対象となるものは,薬物療法並びに卵管形成術によっても治癒不可能と思われる症例である.これらの症例の中には,実際に卵管形成術をやっても,妊娠に成功しなかった場合と,臨床検査により卵管形成術では妊娠が成立する可能性がないと診断された場合の二種類を含む.後者の診断では,各種臨床検査の中に必ず腹腔鏡診と子宮卵管造影法とが含まれることが望ましい.
 乏精子症に対しては,まず乏精子症に対する一般的な治療を行なう.この一般的な治療法とは,夫に対するホルモン療法・薬物療法・精索静脈瘤手術・配偶者間人工授精などを含む.これらの方法によっても妊娠しなかった場合,あるいは臨床検査により妊娠する可能性がないと診断された場合には,優良精子選別濃縮AIH法等を反復して行なう.それでも妊娠しないときに,はじめて体外受精の適応となる.
 免疫性不妊症並びに原因不明不妊症も体外受精の対象となる.
 以上,本法以外の医療行為によっては妊娠成立の見込みがないと判断される場合を示したが,以上のごとく慎重な配慮なしに,他の治療法で妊娠可能な症例に体外受精を安易に行なうことは,厳に慎まなければならないと考えられる.

2.実施者は生殖医学に関する高度な知識・技術を習得した医師で,細心の注意のもとに総ての操作・処置を行う.また,本法実施前に,被実施者に対して本法の内容と予想される成績について十分に説明し,了解を得た上で承諾書等に記入させ,それを保管する.
(解説)
 生殖医学に関する高度の知識・技術を習得した医師とは,産科婦人科学・生殖生理学・発生学・その他関連領域の医学知識・技術を身につけた医師とする.
 本法の実施にあたっては,諸外国と同様,他の専門技術者の協力が必要であるが,本法に関するすべての技術は,ヒト発生に関する治療行為であるので,責任者はすべて医師でなければならない.被実施者とは,体外受精の治療を受ける夫婦のことをいう.本法の内容とは,本法の原理・適応・禁忌・技術・反復実施する周期数・副作用の可能性などを意味する.
 予想される成績とは,妊娠できるか否かの可能性,予想される妊娠率,妊娠成立後の流産・胎児異常の発生の可能性,などを意味する.
 承諾書の様式は,各病院で決定するが,その承諾書には夫婦とも署名・捺印等させる.この承諾書はそれぞれの病院において保管する.
 本法の治療を受けるかどうかの決定は,夫婦の自由意志による.

3.被実施者は婚姻しており,挙児を希望する夫婦で,心身ともに妊娠・分娩・育児に耐え得る状態にあり,成熟卵の採取,着床および妊娠維持が可能なものとする.
(解説)
 体外受精によって治療を受ける夫婦は,婚姻している夫婦とする.このため,体外受精を行なう病院においては,患者夫婦の戸籍を確認しておく事が望ましい.
 成熟卵の採取・着床及び妊娠維持が可能なものとは,少なくとも一側の卵巣を有すること,子宮を有すること,その子宮は着床及び妊娠維持が不可能となるような疾患を有しないことを意味する.

4.受精卵の取り扱いは,生命倫理の基本にもとづき,これを慎重に取り扱う.
(解説)
 生命倫理の概念は,その時代差,地域差,個人差,社会的・職業的立場の差によって異なる.また,医学的な立場からのみで決められるものではなく,人文科学的・社会科学的・自然科学的なことも考慮に入れ,総合的な立場から決められるべきで,一概に結論を出すことはできない.しかし,生命倫理の基本を一言でいうならば人の生命を尊重することを意味する.従って,ジュネーブ宣言を考慮に入れ,医師としての倫理に基づき,これを行なうべきである.
 どの時期をもって人の個体の始まりとするかについては,その間にいろいろな段階があり,一概に決定することはきわめて難しい.精子並びに卵子は,染色体数が半分しかなく,人体外においては独立して生存することはできないので,個体ということはできない.精子・卵子は,不妊症の診断並びに治療に必要なときには,本人の同意を得て臨床検査に使用することができる.
 受精卵とは,受精を完了した状態をいう.正常に発育した受精卵は,それを採取した母体に戻すことを原則とする.

5.本法の実施に際しては,遺伝子操作を行わない.
(解説)
 「遺伝子操作」とは,遺伝子工学・クローニング・異種間ハイブリッド・キメラ・等を人工的に行なうことを言う.ヒトの遺伝子操作を別の観点から,手技上から分類すると,遺伝子に影響を与えると思われるウイルス移植などの生物学的操作,遺伝子に影響を与えると思われる放射線照射,マイクロマニプレーターによる機械的操作のごとき物理的操作,遺伝子に影響を与えると思われる化学物質投与などのごとき化学的操作が挙げられる.ヒトの体外受精を行なうにあたって以上のごとき遺伝子操作を禁じている.
 遺伝子工学は元来,物質を作るための工業として発達したものである.治療を目的とする体外受精とは本質的に意義・目的を異にするものである.遺伝子工学は,酵母や,大腸菌のごとき単細胞生物に対して行なわれるのが普通である.精子や卵子は単細胞生物ではない.精子や卵子に対して遺伝子工学を行なえば,これらの細胞はまもなく死亡すると思われるし,また受精する可能性もほとんどなくなるといっていい.
 卵におけるクローニングとは,卵細胞の核を他の体細胞の核と入れかえること等である.このことによって,その細胞は生存を続けるであろう.しかしこれによって正常なヒトが発生することはない.異種間ハイブリッドとは,ヒトの生殖細胞とヒト以外の動物の生殖細胞とを受精させることである.キメラとは,受精を完了して増殖中にある桑実胚または胞胚の細胞の一部を他の個体の胚の細胞の一部ととりかえることなどをいう.
 体外受精の基本的目的は,夫婦の遺伝子をそのまま子供に伝えることであり,元来子供のない夫婦は,自分たちの遺伝子を子供に伝えることを最も望んでいる.
 従って,このような操作は医療として行なう体外受精の目的に全く反するものであり,医の倫理に反するものである.これらの操作は体外受精の中に繰り込んで行なわれることはない.

6.本法の実施に際しては,関係法規にもとづき,被実施者夫婦およびその出生児のプライバシーを尊重する.
(解説)
 現在,社会の一般の人々は,体外受精に対し,異常なほどの関心と興味をよせている.その結果として,被実施者夫婦及びその出生児の私的な事までも知りたがっている.このため,体外受精の治療を受ける被実施者夫婦は心理的なストレスを受けている.このような状態に鑑み,被実施者夫婦及びその出生児を保護する観点からこの項目を設けた.
 医師をはじめとした医療関係者が,被実施者夫婦及びその出生児のプライバシーを守ることは当然であり,医療担当者に限らず,一般の人々すなわち第三者に対しても,被実施者夫婦及びその出生児のプライバシーを尊重することをのぞむものである.
 (本法における関係法規とは,憲法・民法・刑法・医療法などをさす.)

7.本法実施の重要性に鑑み,その施行機関は当事者以外の意見・要望を聴取する場を必要に応じて設ける.
(解説)
 本法実施の重要性とは,次のような状態をさす.体外受精は,未だ我国に定着しているとはいえず,医療担当者にも被実施者にも一般国民にも,これに関する知識が充分には普及していない.その上,体外受精に対しては,医療担当者のみならず,一般大衆の中にも異常な関心をよんでいるのが現状である.このような状態において医療施設が体外受精を行なう場合には,極めて慎重でなければならない.
 ジュネーブ宣言によれば,医療は医師と患者とのみから成り立つものであり,その契約によって行なわれる.それにもかかわらず,この項目を設定したのは,以下の理由による.
 体外受精に関する見解を日本産科婦人科学会が定め,これに従うように全国に呼びかけている.しかし,これだけの見解だけでは実際に体外受精を治療として行なう場合には不充分であろう.それぞれの病院,それぞれの地域には,それぞれ特徴がある.その特色も充分に考慮しなければならない.従って,本学会の見解には必ず従うが,これに加えて体外受精を行なう病院で病院自身の細かい規則,あるいはその地域の産婦人科医療における地域の特色のある規則が作られてもよい.また,それぞれの地域またはそれぞれの病院において,学識経験者等の当事者以外の者も参加する体外受精の倫理などに関する組織を作ってもよい.
 体外受精に関する委員会を作るときには,これによって患者のプライバシーが侵害されて被害を受けることのないようにしなければならない.


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